自分で「ボク」のことを正しく伝えたいから



 OUT IN JAPAN SETOUCHI(※1)に参加したモデルさんたちに、きっかけなどを伺いました。自分だけでは、なかなかできなかったことや、自分らしくいられる秘訣などをご紹介します。


誰もが自分に問いたくなるー自分らしいってなんだろう?―、


色々な意見を知りたい方は、ぜひ参考にしてみてください。




FTMトランスジェンダー

聞き手     岡  薫(アライ)

 今年で100歳になる純生さんの祖母は、17年前、純生さんからのカミングアウトを聞くと、「早くお嫁さんもらわないとね〜」と言い、その年の年賀状から、宛名を「純生」と変更してくれたそうです。
 純生さんの生まれた時の戸籍の性別は、女性でした。
 今は、戸籍を変更して名前も性別も「男性」として堂々と生きているトランスジェンダーです。裁判所で名前を変更する際に必要だった「すでにその名前で生活している証拠」の1つが、祖母からの年賀状でした。

 30歳で、性同一性障害の診断を受け、33歳で乳房と卵巣・子宮を取り除く性別適合手術を行い、戸籍上の性別を男性に変え、第二の人生をスタートさせた純生さんが、201810月、OUT IN JAPANに参加して伝えたかったことを伺いました。




Q1. OUT IN JAPANに参加したきっかけを教えてください

 
 「ネットで検索したらヒットする覚悟がないと参加はできません。 もう少し早い時期だったら、参加は見送っていたと思います」と話す純生さん。
そんな彼の背中を押したのは、「堂々と生きていけばいい」という母の一言でした。

 普段は、近距離の大型トラックの運転手として働く純生さんが、手術を決意したのは、29歳の時の失恋がきっかけでした。長年付き合っていた彼女に「親を裏切ってまでは一緒になれない。結婚して自分の子供が欲しい」と言われ、絶望。「この先、彼女ができたとしても、この繰り返しかと思ったら生きていく意味が見出せなかった」という純生さんは、自殺を試みましたが、未遂に終わりました。

そんな時、初めて知ったのが、“性同一性障害”という言葉と、“性別適合手術”という治療方法です。

「これで男性になれるー」と、純生さんは、迷わず治療の道を選択しました。

「男性になりたい」と告白した当時、一番に応援してくれたのが、母。そして、手術が決まった時に、サインをしてくれたのが、父。友達は、改名した際に「(男性になりたいと思っていることを)知っていたよ。いつ言ってくれるのか待っていた」と優しい言葉をかけてくれたそうです。

「ひとりぼっちだと勝手に決めつけていたけれど、そうじゃなかった。仲間がいっぱいいました。失恋して自殺未遂をしたことは、当時の彼女もボク自身も苦しい経験だったけれど、あの失恋があったからこそ、今のボクがあるのだと思います。当時の彼女には感謝しています。ちなみに彼女は今、ボクのアライの一人です
と純生さん。

仲間に恵まれ、感謝する純生さんが、OUT IN JAPANという公の場に参加し、改めて公の場で、自らカミングアウトしようと決意したのは、自分の知らない場所で「言いふらされている」と感じたからだそうです。

「どうせみんなが知っているなら、自らボク自身のことを“正しく”伝えたかったからです。ボクはFTMのトランスジェンダー。子どもの頃から、ボーイッシュな格好が好きでした。それが、社会人になると『ボーイッシュは卒業しなよ』とか『そろそろ男性スタイルはやめて、女性らしい格好をしなさい』と言われるようになりました。そもそも、そう言われること自体がおかしいのです。だってボクは、体は女性でも、心は男性ですから。だから、性別適合手術を受けたんです。同じ性同一性障害でも、治療などをしていない(望まない)人とも違うし、格好だけ男性(男装)とも違う。でもトランスジェンダーのことをよく知らない人には、これらの違いがわからず、みんな同じだと思われています。治療しているのと、治療を望まないのとでは全然違う。それがなかなか思うようには伝わっていないと感じたから参加を決めました」




Q2. 今回、カミングアウト(撮影会に参加)してよかったと思うことは何ですか

「この世にボクが生まれてきた証を残せたこと。いい遺影ができました」と、笑いながら、こう語る純生さん。
トイレの窓から神様に「男の子になりたい」と祈っていた幼稚園児の純生さん、
それしか道がなかったと思い込み「振袖」を着た20歳の純生さん、
失恋して自殺しようとした29歳の純生さん、
性同一性障害と診断された30歳の純生さん、
性別適合手術を受けた33歳の純生さん、

その全てを今、きちんと残せたことに満足しています。
撮影は、男性器を形成するためにできた腕の傷を見えるように腕まくりをして臨みました。
それを見たスタッフに「かっこいいよ」と言われ、見られることに自信を持ってもいいのだと感じたそうです。
かつて、腕や腹に残っていた大きな傷跡は、その後の形成手術で随分と、小さくなりました。純生さんは、自分のためにも、純生さんに続く、次世代のFTMトランスジェンダーのためにも、傷跡を小さくできることを証明すべきだと言い、修復手術を繰り返してきました。

その姿は、まさに「パイオニア」です。その証拠に、純生さんの姿を見た、スタッフや、レスリー・キー氏でさえも、純生さんのことを、男性として参加した「ゲイ」参加者だと勘違いしたほど。
今では、「どっち?」とも聞かれなくなったことに喜びを感じている純生さん。
写真も、かっこいい!!です。



Q3. 今まで言われたり、されたりして困ったことや、改善してほしいと思うことはありますか?(制度についてでもOK

「結婚して子供や孫がいる大人たちの中には、LGBTの知識があるとか、ないとかの問題ではなく、人として他人に対する思いやりが欠けすぎている人がいると感じることがあります。大人のイジメみたいなものかな・・・。アウティングもそのひとつ。アウティングをする人は面白半分かも知れませんが、アウティングされる人の気持ちは、微塵も考えてないことが大きな問題です」

 純生さんは、年齢関係なく、思いやりさえあれば、理解できるはずだと言います。その証拠に、冒頭ご紹介した今年100歳になる純生さんの祖母は、すぐにわかってくれたのですから・・・。
「ボクに対するアウティングで一番酷かったのは、仕事先で初めて会う人にまで、アウティングされていたこと。初めて会った人に『噂の人でしょ?』と聞かれた時は一瞬何の事だか分かりませんでした… それ以外にも、ボクの目の前で初めて会った人にアウティングする友人がいました… アウティングする人の共通点は『面白がる』『深く考えない』なんですよね。大人のすることではありません」

Q4. 自分のセクシュアリティを肯定するために、普段どのようなことに気を付けていますか?

 「唯一あるとしたら、髭を少し伸ばしていることかな」と。

名前通り純粋に生きている“純生”さんは、いつでも自然体です。
純生さんがまだ女性だった頃は、近所の散髪屋さんで「サイドの刈り上げ」を頼み倒して、渋々刈ってくれる…ということが日常茶飯事だったそうですが、今では(31歳頃から)純生さん自ら「純生カット」と題してセルフカットしているほど。ちなみに現在愛用しているバリカンは3代目(3台目)なのだそう。
どんな時も、自分らしく、自分が生きたいままの純生さんがとても印象的です。

Q5. どんな人といるとき、また、どんな環境だと、自分らしくいられると感じますか?

 インタビュー中、純生さんが繰り返し口にしていたのは、「ボクは周りの人に恵まれている」という言葉です。
家族、親戚、友人、会社、誰といても、どこにいても、ありのままの自分で生活できている純生さんは、とても素敵です。そんな純生さんも、一時は「おかしいのは、世界中でボクだけなのでは?」と、ひとりで悩んでいた頃があります。
「もし、そうやって悩んでいる人がいるならば、話を聞いてあげたいし、プラウド香川(※2)に来て欲しい」と話す純生さんが、最後に教えてくれたのは、
「人は思い悩むと視野が狭くなります。だからもっと視野を広げて欲しい。そして、その先にはボクたちがいることを、ひとりぼっちじゃないということを知って欲しい」
ということです。

LGBTに限らず、誰でも自分自身のことは意外と見えないものかもしれません。自分自身のことになると、周りの空気を読んで自分を押し殺してしまうこともあるでしょう。でもそんな時、身近に相談に乗ってくれる人は、きっといるはずです。

OUT IN JAPAN SETOUCHIの写真展には、過去、自分がわからず、思い悩んだ経験を持つ先輩たちがたくさん参加しています。ぜひ、写真展に足を運んでみてください。きっと身近にいる先輩たちから勇気をもらえると思います。



※1,OUT IN JAPAN…日本のLGBTをはじめとするセクシュアル・マイノリティにスポットライトを当て、市井の人々を含む多彩なポートレートを様々なフォトグラファーが撮影し、5年間で10,000人のギャラリーを目指すプロジェクトです。

http://outinjapan.com





※2,プラウド香川…性の多様性を尊重する社会作りを目指し、1995年に発足したLGBTQに関する活動を行なっている非営利団体

https://proud-kagawa.org